室町時代には多くの大規模な土一揆がおきました。民衆が強い不満を抱えていたからこそこのような行動に走ったのですが、どうしてこれほどまでに強い不満を持つようになったのでしょうか!?
室町時代は後醍醐天皇の建武の新政の失敗を発端として南北朝時代に突入していきました。これは足利義満によって南北朝が統一されるまで約65年もの間続きました。この混乱の時代に様々な変化が起こっていったのです。
注目するべきことと言うと、守護大名と呼ばれる一国の支配者が台頭してきたことです。もともとは鎌倉時代に全国においた守護ですが、荘園を自分の領地にしていくなどして支配力を強めてきたことで出てくるのです。
このように南北時代の混乱の最中に領国制を基盤として勢力をつけてきたのが守護大名ということだったのです。
南北朝時代の人々の様子を考えてみることにしましょう。この当時は南朝と北朝とで対立している混乱の時代です。とても平和な世の中とは呼べない状況が続いていました。それに加えてこれまで守護だった人たちは守護大名として自分の領地を広げて民衆から年貢を取り立てるようになってきたのです。
このような状況の中で人々はしだいに一致団結をするようになっていくということは想像が出来ると思います。それは自分たちの身を守るために必要な事だったのでしょう。当時の人々は惣と呼ばれる自治組織を結成していました。
そして、自分たちで自治を行っていくためにも寄合と呼ばれる会合なども開いていくようになったのです。このような集団的な自治を通じて次第に人々は結集し団結力を強めていくことになったのです。
このように守護大名と呼ばれる人が支配力を強める一方で、人々は自治を通じて団結力を強めていくということになりましたので、守護大名への不満が溜まりすぎると、それを集団行動で反発するようになったというのが土一揆です。
勉強という観点で覚えるべき土一揆としては、徳政一揆・国一揆・一向一揆あたりでしょう。徳政一揆は借金を帳消しにしてくれというい一揆で、国一揆は守護大名への反発であり、一向宗の宗教的な反乱が一向一揆です。