平将門の乱と藤原純友の乱は日本の歴史上でもかなり重要な意味を持つ事件と考えられます。どうしかというと、この事件をきっかけにして武士という新しい勢力への注目度が急上昇したからです。
平安時代はこれまでの一大勢力と言えば、藤原氏のような貴族でした。それが、次第に時代が変わっていき、いよいよ平将門の乱と藤原純友の乱をきっかけに武士というものが顕著に台頭していくことになるのです。
この事件を発端として日本の歴史は大きく動き始めることとなります。ちなみに、この平将門の乱と藤原純友の乱を合わせて承平・天慶の乱ともいいます。
平将門の乱は関東でおきており、藤原純友の乱は瀬戸内海でおきていますので2つの乱に関連性はありませんが、時期が非常に近かったことと、歴史的な意義も同じような出来事でしたので合わせて語られることが多いのだと思います。
この2つの乱がおこったきっかけは一言でいうと地方の統制ができていなかったことによる不満の爆発と言えるでしょう。当時は、国司が地方を管轄していましたが、国司のことまでしっかりと管理が行き届いていなかったため、地方は国司のやりたい放題という状況に陥ってしまっていました。
地方の農民などは国司の私利私欲によって苦しい生活を強いられることも多かったようです。そこで、そのような溜まりに溜まってしまった怒りを一気に爆発させたというのが平将門の乱・藤原純友の乱ということになるのです。
平将門の乱も藤原純友の乱も共に失敗に終わっています。それは、朝廷から派遣された武士によって鎮圧されたからです。しかし、この出来事によって、武士は格段に注目されるようになっていきます。もともと朝廷の警護などでその実力を認められつつあった武士ですが、この大きな反乱を無事に制圧することで高く評価をされるようになったということです。
そして、時代に流れは急速に貴族中心の世の中から武士が活躍する世の中へと移っていくことになるのです。