室町時代の大きな出来事として応仁の乱が挙げられるでしょう。日本の歴史にはいくつかの転換点となるような出来事がありますが、応仁の乱も間違いなくその一つになると思われます。それは、応仁の乱を転機として世の中が戦国時代へと突入していくことになるからです。
そもそも、8代将軍足利義政の時代には室町幕府の支配力に陰りが見え始めていました。財政の苦しさや土一揆の頻発など世の中は混沌とした状況に落ちいてしまっていました。このような状況下で次代の将軍の座を巡っておこった争いが応仁の乱です。
応仁の乱は8代将軍足利義政の弟である足利義視とその味方についた守護大名である細川勝元の軍勢と、8代将軍足利義政の子供である足利善尚を支持する山名持豊(宗全)との争いです。戦場となったのは京都です。
応仁の乱は11年間にも及ぶ争いが繰り広げられました。しかしそれでも決着がつくことなく京都は荒れ、そして争いの当事者たちも疲れ切ってしまったというのが現状のようです。これまで守護から守護大名となり支配力を強めていた者も権力を弱めていくこととなります。そして、何よりも幕府自体が統制力を失っていくのです。
応仁の乱では争いに決着はつきませんでしたが、8打将軍の足利義政は隠居して京都の銀閣へと移り住むことになり、結局後継となったのは子供の足利善尚でした。
応仁の乱により守護大名の支配力は弱まっていきます。そうなってくると、このチャンスをものにしようと動き出す者が出てくることになるのです。そして、このような者たちは弱まっている守護大名を倒して次々と領地を拡大していくことになります。それが戦国大名なのです。
そしてこのように新たな戦国大名がこれまでの守護大名を打ち破ることを下剋上といいます。
有名な戦国大名も多く現れていますので、少し整理しながら学んでいくといいでしょう。伊豆や相模の北条早雲、越後の上杉謙信、甲斐の竹田信玄、中国地方の毛利元就などは非常に重要です。