小学校の社会では、日本や世界の地理や歴史などを勉強することになります。中学校や高校で学ぶ内容よりももちろん覚えることは限定されてはいますが、かなり範囲が広いため、ついつい遅れをとってしまう子供も多いのです。ポイントをおさえて学習を進めることが必要です。
社会では覚えることが多いというのは事実でしょう。もちろん考える問題もでますが、前提として知っておくべきことは他の科目よりも多いはずです。いかに興味を持てるかかが勝負です。
社会は覚えるべきことがとっても多い科目ですね。ある程度は勉強時間を配分していかないととても短時間では覚えきれないと思います。まずは、社会を苦手としている子供にどのような特徴があるのかを考えてみましょう。
【ケース1】圧倒的に勉強時間が足りていないので知識が少なすぎる
毎日の学習の中でも算数などに多く時間を配分していく子供が多いと思います。たしかに主要4科目のなかでは優先度が高いと多くの方が位置づけているでしょうし、毎日時間をかけていくことは当然なのかもしれません。
でも、あまり極端になりすぎると全く社会の勉強をする時間を作れないことになってしまうわけです。社会が苦手というよりも勉強時間が少なすぎてテストで点数を取るまでの知識が身についていないことがよく見られます。
【ケース2】どこが大切な箇所で何を覚えるべきなのかが整理できていない
社会では膨大な用語が出てきますし、資料などが配られることも多いです。内容も高度なことが書かれていると子供は結局何が大切なことで、どこを覚えればよいのかが曖昧になってしまって頭の中でポイントが整理できていないことがあります。
本来であれば、各分野ごとの要点のまとめがあればまずはそこを優先的に覚えて参考資料として配布物を読み込んでいくという流れになるのでしょうが、テストまでにそこまでの整理が出来ないままで終わってしまうわけです。
【ケース3】地図や地球儀などを見ないので位置関係がイメージできないで覚えようとする
私たち大人であれば、日本の都道府県や世界の国名を聞いた瞬間に頭の中で地図上での位置関係をイメージすることができるのですが、まだ子供の場合はそれが出来ないでいることがあります。そうなると、記憶に残る学びは難しくなってしまうでしょう。
このような学習ではかなり非効率になってしまいます。同じ時間の勉強でもやり方次第で効果が大きく変わってくるでしょう。おおよその位置関係くらいは地図などを手元に置いて確認しながら学ぶことが大切になってきます。
【ケース4】一度目を通しただけで勉強が終わった気になっている
覚えることがとっても多いわけですから一回で全てを理解してテストにも対応できるというのは通常では考えにくいです。一夜漬けをしたところですぐに忘れてしまうことになるため社会の苦手意識は取り除くことは困難です。
特に、日本の歴史上の用語や人物名などは漢字で書けるようになるまで何度も実際にノートに書くことが必要になってくるでしょう。理解してから完全に書けるようになるまでには何度か繰り返すことが欠かせないわけです。
【ケース5】歴史などは時代の背景を知らないとただの詰め込みになってしまう
これは歴史などに言えることなのでしょうが時代背景を知ったうえで勉強をする方が理解がスムーズですし、すぐ忘れることも少なくなっていくはずです。流れをつかめていないと無理やり知識だけを詰め込んでいくことになってしまうでしょう。
すこし時間がかかるかもしれませんが、各時代の主だった特徴を整理しながら学んでいくと点ではなくて線で繋がった知識として身についていくはずです。全体像を大切にする学習をしていくというわけです。
他の科目も時間がかかる中で社会の勉強時間も確保していくためにはどうしたらよいのかということを考えることがスタートになってくるでしょう。時間は限られてきますのでできるだけ効率的な勉強方法を見つけていくことが大切になってきます。
なるべくコンパクトに各分野の重要ポイントや特徴などを整理しておいてから細部にわたって学んでいくというスタンスが近道だと思います。間違えてもダラダラと教科書を眺めているだけで終わらせないことです。
そして、覚えた知識をより確実なものにするためにも何度か自分の手で書きながら定着化を図ったり、練習問題などを解くことで再確認を行っていくと社会の成績がずっと安定してくるはずです。
暗記科目というイメージが強いのが社会ですが、いきなり暗記をしようとするのは少し考え物です。各分野の大枠やポイントを理解してから細かな知識を学んでいき、最終的には暗記するまで覚えるというのがいいのではないでしょうか!?
ですので、どうやって最初の大枠やポイントを学ぶのかということがとっても重要になってくるわけです。まずは結論みたいなことをしっかりと押さえてから学習に入っていくという考え方です。
もちろん、参考書などを購入して来るなどいくつか方法はあるのでしょうが、私のおすすめはスタディサプリを活用することです。小学講座であれあれば4年生~6年生が対象になっています。
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(参考記事)
社会特に地理の分野を学んでいくうえで47都道府県を正確に覚えることが必須でしょう。ただ覚えるというだけでなく、日本地図上のどこなのかというところまで分かることが求められます。家族で楽しみながら完全に覚えるまで繰り返してみましょう・・・
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弥生時代の後半になると邪馬台国が出現し、女王の卑弥呼が大きな権力を握っていることが魏志「倭人伝」に書かれています。邪馬台国は30余りもの「くに」を支配していたとも記されていますが、このような邪馬台国が出現する背景を考えてみるといいでしょう・・・
大和朝廷という言葉が出てきますが、実は分からないことが多く、専門家の間でも見解が別れます。また、倭の五王というのも出てきますが、具体的に誰のことを指しているのかも解明されていません。不明な事が多いですが、最低限のポイントを割り切って学びましょう・・・
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奈良の都といえば、平城京です。710年に元明天皇によって都が移されました。途中の聖武天皇の時期に都を転々とした時期もありましたが、また戻っています。784年の長岡京まで続き、平城京の中には2つの市も開催されていました・・・
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奈良時代の大きな特徴の一つとして僧侶の地位が高くなってきたことが挙げられます。そのなかでも有名な3名の僧侶(鑑真・行基・道鏡)については、それぞれがどのような事をしたのかを対比しながら整理して学んでいくことがいいでしょう・・・
奈良時代には三世一身の法や墾田永年私財法などが制定されました。これは土地の所有に関する内容です。そもそも、大化の改新によって土地は国のものという位置づけだったのですが、これらの制定によって次々と私有が認められるようになっていくのです・・・
奈良時代の文化の特徴は大きく分けると3つです。①聖武天皇の様に仏教を重んじたことなどによる仏教文化、②シルクロードで世界と交流していた唐から影響を受けた世界中の美術品や工芸品、③日本古来の文化を取りまとめたいくつかの書物です・・・
平安時代の始まりでもある平安京への遷都は794年に桓武天皇によってなされました。どうして桓武天皇は都を移したのかを当時の状況を交えながら学習するといいでしょう。桓武天皇は東北地方の平定を坂上田村麻呂に命じてもいます・・・
平安時代になると広大な荘園を手に入れた貴族や寺院がでてきます。もちろんそれに伴って勢力や権力を持つようにもなってきます。でも、そもそもどうして貴族や寺院などは荘園を手にすることが出来たのでしょうか?その理由や時代の流れを確認しましょう・・・
平安時代の貴族の中でも藤原氏は広大な権力を手に入れることになります。特に藤原道長・頼通の親子の時代はもっとも藤原氏が繁栄を誇った時代でもあります。藤原氏は摂関政治を行っていたのですが、どのような内容だったのかを確認しましょう・・・
これまで貴族が中心であった平安時代ですが、平将門・藤原純友の乱をきっかけに大きく流れが変わっていくことになります。この2つの乱は地方の乱れによる不満が原因と考えられますが、鎮圧をしたのが武士であり、その存在感が急激に高まっていくのです・・・
急速に武士が台頭してくる平安時代の後半ですが、なかでも源氏と平氏は2大勢力でした。そんななかで起こったのが保元・平治の乱です。保元の乱は皇室と藤原氏との争いであって、平治の乱は源氏と平氏との争いです。これに勝って権力を握ったのが平清盛です・・・
一気に武士として地位や権力を得た平氏ですが、その繁栄は長くは続きませんでした。以仁王の命を発端として源氏が平氏を追い詰めていくことになります。一ノ谷の戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いを通じて平氏は滅んでしまうことになります・・・
源頼朝は全国に御家人を従えることで一気に支配の領域を拡大していくことになります。そして征夷大将軍になったことで、鎌倉幕府を開くことになっていきます。鎌倉幕府には中央と地方とのそれぞれに役職を設置していますので、しっかりと整理していきましょう・・・
鎌倉幕府を開いたものの源頼朝は間もなく亡くなってしまいます。その後名目上は、子供の頼家と実朝が2代将軍3代将軍となるのですが、実質的な支配力は北条政子に移っていくことになります。さらには、北条時政が初代執権に就き、執権は代々北条氏が継いでいくことになります・・・
鎌倉幕府の源氏の将軍は3代目の実朝の死によって終わってしまいます。当時は京都の朝廷と鎌倉の幕府という2つがありましたので、朝廷としては権力を取り戻すまたとないチャンスでもありました。そこで幕府に攻撃を仕掛けたのが後鳥羽上皇です・・・
鎌倉時代の後半には元寇の襲来がありました。当時中国で強大な力を持っていた元が日本を攻めてきたのです。これに対して御家人たちは必至の戦いに挑みました。その結果勝利に終わるのですが、これに対して幕府は御恩をすることが出来ずに、御家人の不満が増加します・・・
後醍醐天皇による建武の新政とは?どうして上手くいかなかったの?
元寇で御家人との信頼関係が弱まってしまった幕府に対して攻撃をしようと呼びかけたのが後醍醐天皇です。そして、その呼びかけに応じたのが楠正成・足利尊氏・新田義貞たちでした。鎌倉幕府を倒して建武の新政をはじめますが、武士の不満を招くことになります・・・
建武の新政は2年間という非常に短い期間で終わってしまいます。その原因は足利尊氏が後醍醐天皇に背いて立ち上がったからです。これにより南朝と北朝という2つの朝廷が対立する南北朝時代に入り、足利尊氏は室町幕府を開くことになります・・・
室町幕府の3代将軍といえば足利義満です。一休さんのアニメでも登場した人物ですので、日本人にも馴染みが深いです。足利義満で覚えるべきポイントは3つです。①南北朝を統一したこと、②金閣や花の御所を建てたこと、③勘合貿易を行ったことです・・・
南北朝の対立による混乱が長引く中で、荘園を自分の領地化することで守護大名が支配力を強めていきました。その一方で、民衆の人々は自分たちの身を守るために自治を通じて結束力を強めていきます。そして不満が爆発するときの集団行動を土一揆というのです・・・
8代将軍の足利義政の頃になると室町幕府の支配力も弱まってしまいます。そんな中で後継争いが生じました。これが有名な応仁の乱です。11年も争いが繰り広げられるものの結局勝負はつきません。これにより、新たに戦国大名が台頭し、世の中は戦国時代へと突入していきます・・・
室町時代には二毛作などの農業・金や銀などの鉱業・地域ごとの手工業といった産業が著しく発展します。各都市も城下町・門前町・宿場町といった特色を持ちながら発展し、産業の発展に伴い、水上交通や陸上交通も整備されていくことになります・・・
室町時代の代表的な建造物である金閣(鹿苑寺)や銀閣(慈照寺)、枯山水を活用した庭園などはしっかりと整理して覚えるようにしましょう。水墨画や狩野派なども重要です。軍記も書かれる一方で、「一寸法師」や「浦島太郎」のようなお伽草子も書かれています・・・
織田信長に擁立されながらも対立することで京都を追われたのが足利義昭です。これにより室町時代が終わり、安土・桃山時代に入ります。織田信長は桶狭間の戦い・長篠の戦いで全国統一を目指すのですが、本能寺の変で明智光秀に攻められ夢はかないませんでした・・・
織田信長の死後ただちに明智光秀を討ったのが豊臣秀吉です。その後豊臣秀吉は四国・九州・小田原・奥州と平定をしていき、ついには全国統一を果たすことになります。民衆には検地や刀狩を行う一方で、対外的には宣教師の国外追放や朝鮮出兵なども行いました・・・
豊臣秀吉の死後に起こった関ヶ原の戦いを制した徳川家康は1603年に江戸幕府を開きました。さらには大阪の陣で豊臣氏も滅ぼしています。3代将軍家光の頃までには幕府の仕組みや大名の統制などの根幹が徐々に整っていくことになりました・・・
江戸幕府は3代将軍徳川家光の頃までに大枠が整っていくことになります。そのような中で、徳川家光は非常に特徴のある政策を行っていきます。一つがキリスト教の弾圧です。宣教師やキリスト教徒の追放もしています。また、鎖国をすることで、さかんだった貿易も終わります・・・
5代将軍というと徳川綱吉です。生類憐みの令を制定した人物として有名です。しかし、その一方で儒学を重んじた人物でもあります。徳川綱吉の時代の文化を特に元禄文化と呼びます。鎖国の影響もあり日本固有の華やかな文化となっているのが特徴です・・・
元禄時代頃から幕府の財政は苦しくなっていきます。また藩や下級武士さらには農民も同様です。飢饉も起こったり、百姓一揆も起こるようになってしますのです。そこで財政を立ちなおそうとしたのが3大改革(享保の改革・寛政の改革・天保の改革)です。・・・
江戸時代の文化・文政の頃の文化を化政文化と呼びます。町人文化として発展していくという特徴を有しています。元禄文化と対比をしながらポイントを整理していくといいでしょう。国学や蘭学といった学問、有名な小説や和歌・俳諧、絵画などが多くあります・・・
日本が鎖国を行っている間に世界では近代化が急激に進んでいました。そしてついに日本にもその波が押し寄せてくることになりました。それがペリーの来航です。その後、日米和親条約と日米修好通商条約を締結し、鎖国の時代は終わりを告げることになるのです・・・
もともとは長州藩などは尊王攘夷の考えでした。外国を倒して朝廷を主導とした世の中を描いていたのです。しかし、次第にその考えは倒幕へと変わっていくことになります。倒幕で有名なのが薩長連合です。このような情勢の中、徳川慶喜は1867年に大政奉還をおこないました・・・
いよいよ明治時代に突入します。王政復古の大号令により天皇を中心とした新しい政府の成立が宣言され、近代国家になるための多くの試みが行われていくことになります。ここでキーワードになるのが①富国強兵や②近代産業といえるでしょう・・・
自由民権運動とはいったい何!?大日本帝国憲法制定や帝国議会!
明治維新後の藩閥政治に異議を唱えたのは板垣退助です。国民の代表を選んで政治を行うことを主張していきます。このような言論活動を自由民権運動と呼びます。この甲斐あって、大日本帝国憲法が制定され、そのもとで帝国議会が開催されていくことになります・・・
1894年には日清戦争が起こります。これは朝鮮をめぐる日本と清との争いです。勝利をしたのは日本でその結果、下関条約を締結することになります。日清戦争に勝利した日本は世界的に存在感が大きくなる一方で、敗れた清は列強国の租借地として分割が進みます・・・