平安時代になると貴族や寺院などは荘園を持つようになり、どんどんと勢力をつけていくようになります。この時代における荘園というのは、自分たちで開墾して切り開いた土地であったり、寄贈を受けることで手に入れた土地などのことを指します。
でも、どうして貴族や寺院などは多くの荘園を手に入れるようになっていったのでしょうか??
実は、この理由を探るためには、少し時代を遡って考え直してみることが必要になってきます。スタートとなるのは、中大兄皇子(天智天皇)の大化の改新における公地公民や班田収授です。
大化の改新では土地を国のものとしました。(公地公民)そして、人々に土地を貸し与えて死ぬと国に返還することになります。(班田収授)そして、土地を貸す代わりに祖・庸・調などの税を課しました。
でも、奈良時代になると、人口が増えて土地が不足してしまったり、税負担に苦しむ人々が増加したため、三世一身の法や墾田永年私財法を定めることで、一部の新たな土地について私有を認めることになったのです。
これにより、土地は全て国のものという前提が崩壊するとともに、人々は自分の土地を持つことのできるチャンスを手に入れることが出来たのです。
これまで国家のものであった土地が永久に私有地として認められるようになったことで、当然貴族などは自分だけの土地を手に入れようとすることは想像が出来ると思います。しかも、私有地ですので、国から貸し与えられた土地ではないため税負担もないのです。
これは、冷静に考えてみると土地を持っている人は何重にも特権が与えられているようなものです。そのため、平安時代に入ると、新たに開墾した多くの土地を所有する貴族や寺院というものが急に生まれるようになてきたということです。
平安時代の貴族で有名なのが藤原氏です。藤原氏も多くの荘園を手にしていました。土地の私有化を奈良時代に認めてしまったことで、土地を多く持っている人に権力が傾いていくという大きな流れをイメージしながら学んでいくのがいいでしょう。