江戸幕府の3代将軍といえば徳川家光です。江戸幕府は15代の将軍がありましたが、その中でも江戸幕府の基盤の強い時期の将軍として重要な歴史上の人物です。また特徴の強い政策なども行っていますので、じっくりと理解をしながら勉強を進めていきたいですね。
そもそも徳川家康が江戸幕府を開いたのは1603年でした。まだ、幕府を開いて間もないころには幕府の仕組みや大名の統制などは不十分な状況でしたが、3代将軍の徳川家光の頃には基盤が整備されてくることになります。
なかでも、大名に課した参勤交代は非常に統制力が強く、江戸幕府が安定して長期にわたって存在する重要な基盤となったとも言えるでしょう。
そんな徳川家光ですが、参勤交代以外にも非常に特徴的な政策を行っています。特に重要な事がキリスト教の弾圧と鎖国の実施でしょう。
江戸幕府はキリスト教に対して非常に厳しい態度をとっています。徳川家康も禁教令を出しているほどでした。それは幕府へ反抗することを恐れていたからなのかもしれません。
特に、3代将軍の家光の際にはキリスト教の弾圧という徹底的な姿勢がとられました。宣教師やキリスト教徒の国外の追放なども行われるほどだったのです。また、隠れキリシタンであるかどうかを判断するために絵踏みも行ったりもしています。
そもそも、徳川家康は貿易を重視していました。東南アジアとの貿易に対して朱印状と呼ばれる渡航許可証を幕府として発行をしていたのです。そのため東南アジアの各地では日本町が出来るほどだったのです。
また、少し時代は遡りますが、1543年にポルトガル人によって種子島に鉄砲が伝わって以来、スペインやポルトガルとは長らく南蛮貿易と呼ばれる貿易を行ってきました。
そのような中で徳川家光がおこなった重要な政策が鎖国です。スペインやポルトガルなどとの南蛮貿易や東南アジアとの朱印船貿易も鎖国により終わっていくことになるのです。
オランダ商館は長崎県の出島に移され、オランダ・中国との貿易は長崎に限定されることになったのです。