平安時代の後半で権力を握った平氏ですが、その勢力はそれほど長続きしませんでした。日本語には「栄枯盛衰」とか「おごれるものも久しからず」という言葉があります。地位や権力というものはいつまでも長続きしないということですが、平氏の繁栄と滅亡を知ると歴史が物語っていることがよく分かります。
そもそも平氏が実権を握ったのは、保元・平治の乱で平清盛が勝利を収めたことから始まっています。これまでの平安時代の主役は藤原氏のような貴族だったのですが、一気に武士としてのぼりつめています。そして、藤原氏と同じように娘を天皇の中宮にすることで、その子供は天皇に即しています。
これは、もちろんよく思わない人がいたということが想像できます。なんとかして平氏の勢力をおさえたいと考えたのが以仁王です。その以仁王が打倒平氏として呼びかけたのが源氏ということになります。
全国の源氏が平氏を打ち負かすために立ち上がることになるのですが、そのような中でひときわ実績を上げることになったのが源頼朝です。弟の源範頼と源義経を平氏の滅亡に向けて戦わせることになりました。
まず最初に有名なのが一ノ谷の戦いです。場所は、兵庫県です。当時は播磨国でした。一ノ谷は地形的に急な斜面と海で囲まれた場所でありましたが、源氏は斜面から奇襲をかけることで勝利したとされています。
一ノ谷で敗れた平氏は屋島に逃げ込んでいくことになります。香川県です。ここでも平氏は源氏に敗れてしまうことになります。そしていよいよ追いつめられた平氏は山口県一関市の壇ノ浦へと逃れていくことになります。
そして、源平合戦の最終決戦の場となったのが壇ノ浦です。もちろんここでも源氏が勝利を収めましたので、平氏は滅んでしまうことになります。
ここで、いかに平氏の全盛期が短かったかを確認してみましょう。平清盛は武士で初めて太政大臣という位に就きます。これは1167年の出来事です。これをきっかけに一気に大きな権力を握るのですが、壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡するのは1185年です。その間たったの18年間です。
桓武天皇が794年に平安京に遷都してから400年ほども続く平安時代ですが、前半と後半とでは主役が大きく異なっています。じっくりと勉強すると平安時代はとても面白いです。