日清戦争が勃発したのは1894年のことです。もちろん日本と当時の中国の清との戦いなのですが、どうしてこのように日清戦争が起こったのかを整理して勉強していくことがいいでしょう。
この当時の世界情勢を確認してみますと、欧米諸国は東南アジアを中心に植民地化を進めていました。そもそもペリーが来航したことで日米和親条約や日米修好通商条約が締結されましたが、その当時も欧米諸国はアジア圏の植民地拡大をしていましたし、次第にその波はアジア圏を北上してきていました。
一方で、ロシアも勢力を拡大しており、次第に南下をしているといった状況だったのです。このように日本や清さらには朝鮮を取り巻く環境は、南からは欧米諸国が勢力を北上し、北からはロシアが勢力を南下しているといったことで徐々に緊張感が増していたということです。
このような中で朝鮮をめぐる争いが起きたのが日清戦争です。もともと清は朝鮮を属国としてみなしていたところに、朝鮮で起こった東学党の反乱の鎮圧に日本も出兵したことが日清戦争の発端です。
日清戦争は日本の勝利に終わります。その結果結んだ講和条約が下関条約です。その内容のポイントは、①朝鮮の独立を認めること、②清は日本に遼東半島と台湾とほう湖諸島を渡すこと③賠償金を支払うことです。
しかしこれに対してロシア・ドイツ・フランスの3国は、遼東半島を清に返還するよう求めてきたため、日本は返還を行いました。これを三国干渉といいます。
日清戦争で勝利をした日本は世界的な地位が高まったのですが、その一方で敗れた清はロシア・ドイツ・イギリス・フランスの租借地として分割が進んでしまうことになります。
租借地とは、期限付きで借りることであり、半植民地の状態でもあります。